Spirit Box スピリットボックス P-SB7T

Spirit Box スピリットボックス P-SB7T

6000円

Spirit Box スピリットボックス P-SB7T

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ご覧いただきましてありがとうございます。 こちらの商品は新品・未使用となります。 #ゴーストハンター #幽霊 #怪奇現象 #オカルト #心霊 #心霊スポット #狩猟 #超常 #AM #FM #研究所

Spirit Box スピリットボックス P-SB7T

『覇王の家(下)』

 今季の寒さは今朝までとなるのかこれから先は暖かい日が続くようだ。先日、自宅最寄り駅1番ホームに咲く寒桜を見に出かけた。昨日の地元テレビ局のニュースによるとこの寒桜は今が見ごろのようだ。スーパーに行く前に桜を見に行こう。

 ロシアのウクライナ侵攻と関係あるのか一昨日から低空飛行を繰り返す。アメリカ軍の岩国基地の飛行機が練習するのか、かなりの低空飛行だ。この音がうるさすぎて耳から離れない。

 以下は先日読み終えた『覇王の家(下)』(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年二十四刷)から気になる箇所を抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★ところがこの海道諸国で、「三河殿」とよばれている家康にかぎり、いまだ一度もその種の酷なことをしなかったという、ふしぎな経歴をもっている。だけでなく、彼は自分にそむいて反乱した家臣たちを大量にひきとってもとの知行のままにし、過去をいっさい問わなかったという。ほとんど信じがたいことを平然とやっている人物であり、そのことはすでに世間に知られていた。奇妙といえば奇妙な男だが、しかし家康はそれだけの男であった。かれは積極的な人心収攬術をつかったこともなく、さらにどうにもならぬほどに彼は生来の吝嗇家というべきところがあったため、有能の士を厚遇するということは一切しなかった。が、ひとびとにとって奥川の傘下に入ることは、他のどの大名に仕えるよりも安堵感ががあった。ただ、この安堵感こそ、士にとって最大の魅力であるであろう。(12-13p)

★秀吉は、家康に対して自分以上の位をあたえて、軟化させようとした。「これを古来、位打ちというのだ」と、家康は、その家来たちに語った。一人の人間を没落させようとすれば位打ちがいい、というやり方が、公家なかまにある。位をどんどん昇らせてゆけば人間がだめになってゆく、という方法で、むかし鎌倉で幕府をひらいた源頼朝は、京の公卿からこの位打ちの目に遭い、懸命にそれを回避し、ことわりつづけたという先例がある。……ただ秀吉は、家康に対し、他意のないことを示すために、こういう方法で自分の赤心を証しただけのことであった。(31-32p)

★現今(こんにち)、アメリカで、「キング・オレンジ」とよばれて栽培されている柑橘類がある。もとは日本でいう九年母(くねんぼ)を改良したもので、原産地は日本ではない。インドネシアであった。日本には、この時期に南蛮人によってもたらされ、九州の各地でこれを植えるのが流行した。それが、京へきた。……家康は早くから京の呉服商をつかって京都情報を送らせているのである。(45-46p)

★家康はそれを一点一画まで模倣した。「まあ、いけるだろう」と家康がみずからを安心させたのは、結局は模倣家というのは、才能の質よりも独創を激しくおそれるところがあった。独創的な案とは、多量の危険性をもち、それを実行することは骰子(さいころ)を投ずるようなもので、いわば賭博であった。模倣ならば、すでにテスト済みの案であり、安全性は高い。「家の制度はすべて三河のとおりにせよ」と、後年、家康は死ぬ直前、子の秀忠や幕府の要人たちに遺言としてのこしたのは、ひたすらに独創を恐れる言葉である。……徳川幕府は、進歩と独創を最大の罪悪として、三百年間、それを抑圧しつづけた。……異とは独創のことである。異を立てててはならないというのが徳川幕府史をつらぬくところの一大政治思想であり、そのもとはことごとく家康がつくった。(64-65p)

★秀吉は死後神になることをのぞみ、その旨朝廷に内奏して豊国大明神という神号を得たが、家康はそのことまでまねをし、東照大権現という神号を得た、大明神の創造性は大権現の模倣性によってひきつがれるのである。(66p)

★平八郎は、その足軽を馬にのせたのである。「馬足軽」とよばれているこの連中は、戦闘につかうよりも主として捜索に使われた。捜索騎兵隊であった。戦国時代に捜索騎兵隊を創設したのは、ひょっとすると本多平八郎だけだったかもしれない。(198-199p)

★ひどいときは「猿」とよんでいた。猿め死に場所を失うて狂うたか、という有名なことばは、氏郷がこの小牧の陣中で吐いたことばである。氏郷にはそういうところがあった。かといって秀吉を愚弄しているのではなく、おそらくはかれの志がすでに天下にあり、自分の志が秀吉に威圧されることによって委縮することをきらっていた。それが不用意に、「猿」ということばになって出た。(223-224p)

★貴人、情を知らずという。信雄は織田家の公達として育った。他人に対する情誼や他人からうける恩義といった観念は貴族育ちの者には欠落していることが多い。生い育つ環境のなかにそういう道徳的情感を感じる条件がないからだが、それにしての織田信雄の不覚人ぶ、一通りではない。(246p)

★家康のこの時期より一世紀前、碧海郡安祥城を松平氏が手に入れたときが、この家の飛躍の時期であったであろう。それまでの松平氏は、その家系をいかに潤色――たとえば源氏の流れといったふうに――しようとも、その実質は狩猟・林業民のお屋形であり、あるいは蛮族の酋長、もしくは剽盗団の首領であったといっていい。しかしながらそのことは松平・徳川氏の恥辱ではない。ジンギス汗とその徒党も本来そうであり、満州でおこって中国大陸の皇帝になった狩猟民の酋長である愛新覚羅氏も、本来、剽盗とかわらない。(257p)

★家康はこの病状悪化より前に、本多正純と僧天海、僧宗伝の三人に指示し、自分の遺体は駿河久能山に葬るべし、葬儀は江戸増上寺でおこなうべし、位牌は故郷の三河大樹寺に納むべし、さらに一周忌をすぎてから下野の日光山に小廟をたてよ、これをもって関八州の鎮守とせよ、といった。家康は元来、三河者の才覚を信じておらず、死後のことまで、父が子にさとすようにこまごまと指示したのである。この指示の内容は宗伝が板倉勝重へ出した手紙によってこんにちまで残っている。(362p)

★室町末期に日本を洗った大航海時代の潮流から日本をとざし、さらにキリスト教を禁圧するにいたる徳川期というのは、日本に特殊な文化を生ませる条件をつくったが、同時に世界の普遍性というものに理解のとどきにくい民族性をつくらせ、昭和期になってもなおその根を遺しているという不幸をつくった。その功罪はすべて、徳川家という極端に自己保存の神経に過敏な性格から出ている。その権力の基本的性格は、かれ自身の個人的性格から出ているところが濃い。そういう意味で、この人物に興味をもっていたが、興味をもつ以上、この人物の死後、徳川家というものの権力的思考法をめぐる課題をも、できれば小説にしたかった。(あとがき 366-367p)

2022年2月24日木曜日

蒸し器

 先日、徹子の部屋に松島トモ子が出演していた。5年半、介護した100歳の母親を亡くしている。亡くなった後の葬儀や戒名の話など聞くと有名人だから?、と思えるほど金額的にびっくりしてしまった。祭壇は3000万円もするものがあるとか。戒名も金額に応じてつけられる。さらには灰になるだけの棺なのに最高金額は800万円のものがあると聞かされたそうだ。こう話す本人も目を白黒させて言っている。それをテレビで見ているモノはもっと驚く。また亡くなっても荼毘に付すのは10日後になるとか。話を聴いていて何もかも広島辺りの風習とは違うとびっくりする。これも大都会の人の多さにある!?

 テレビを見ていて妹の義父や義母の不幸の際を思い出す。当時、妹の子供2人はまだ高校生と中学生だった。ポケットを見ると膨らんでいる。なぜ?と聞いたら葬儀費用をそれぞれ入れているとのこと。それも札束である。あとで妹に聞くと大阪の豊中市は葬儀代が高いらしく現金での支払いという。そのため子供にももたせていた。こう高くて都会では死ねない!?

 また松島トモ子は5年半の介護で初めて料理をして親に食べさせた、とも話していた。これを聞いて同じく働いていた時は料理をしてこなかったので美味しいものを食べさせていたかどうか怪しい限りだ。魚の煮付けも親に聞きながらだった。料理といえば最近になって何を思ったか蒸し器を出してみる。ところが、それに合う鍋がない。昨日、100円ショップに行って蒸し器を探すとあった。野菜などを蒸さずにレンジで調理していた。それよりも蒸し器があれば、と急に思いつき利用するようになった。温野菜である。人参もブロッコリーも蒸し器で蒸すとそれだけでも美味。当分、これにハマりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月23日水曜日

「ローマでの”大患”」から

 図書館に予約した「文藝春秋」新年号を読んだ。文春100周年の新年特別号とあってずっしりと重い。この中で興味を持って読んだのは塩野七生の「ローマでの”大患”」である。塩野は昨年の夏、家の絨毯に靴のかかとをひっかけて転倒し大腿骨を折ったそうだ。その際、法王御用達の病院に入院し、その様子を書いている。大腿骨骨折は徹子の部屋に出てくるある年齢以上の女優さんたちにも多い。88歳まで元気だった母もある朝、トイレに行こうとして転倒し大腿骨を骨折した。年老いて骨折するとそれがもとで命取りになるケースもある。

 イタリアは日本と同じく国民皆保険制度の機能があるとか。だが、法王御用達の病院は保険は適用されず費用はすべて先払いらしい。塩野は息子が生まれるとき以来、入院経験がなく今回が2度目だそうだ。1回目は医師の旦那が担当医であったが塩野に言わせると子の誕生は病気ではないとのこと。

 面白いと思ったのは「確信犯的にアンチ一神教の私がなぜ『法王たちの病院』とも呼ばれているジェメリッを選んだかだが、それには宗教的な理由は全くない」のこの「確信犯的にアンチ一神教」のくだりである。言われてみれば自分もその通りの確信犯的アンチ一神教だ。それなのに評判通りの機能ぶりの病院であることから入院したという。

 記事の中で何度か出てくるキーワードは夏目漱石の「修善寺の大患」である。この本を読んでいないので何とも言えないが塩野に言わせれば病院での対応をめぐって漱石ほどに名を揚げていないので入院はショックだったという。塩野は入院から退院までの総額は400万円かかったとか。塩野は漱石の件を次のように記す。「持って来てもらった本の中に夏目漱石の『修善寺の大患』があって、そこに漱石は次の一句を書いている。東京の本社にもどる朝日新聞社の社員の一人が、こう言い残して修善寺から発って行ったというのだ。『もっと居たいが忙しいから失礼します。その代わり手当は充分にするつもりであります』と」。

 ところが文春と新潮に記事を書いている塩野に対して二社は「大変でしたね、がんばってください、退院したら甘いものでも送ります」だけであったという。塩野は漱石との重要度の違いを「この程度」と再認識するしかなかったそうだ。だが、比べるものが漱石とあっては再認識も笑いながらであったという。

 次に病院での喫煙の場面である。ロンコーニの「黙認」に喫煙を楽しむ場面があるとか。その例を踏襲するのは日本人の名誉にかかわる。だからと言ってあきらめるのは癪に障ると思って一日一本だけ、と塩野は息子を説得。その時間になると塩野は浴室に閉じこもって日本の煙草である「峰」を吸った。人が来ても入浴中、とごまかしたそうだ。 

 リハビリを経て松葉づえなし歩けるようになった塩野は最後にこう書いている。「入院中の夢は自宅にもどることであり、退院後の夢は、日本に帰ることである。だがそれがいつ実現するかまではわからない。リハビリはいつかは終わるが、コロナ騒ぎがいつ落ち着くのか、またそれに対する日本政府の方針がどうなるのかは、私の努力には関係なく決まることなのだから」。

 大腿骨骨折のニュースや記事を見ると目が釘付けになる。骨折は家の中でのことが多い。そして骨折がもとで寝たきりになることもある。骨折しないように気をつけよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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春よ 来い!

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 梅についての歌があると考えていたら「東風吹かば~」が口から出た。これは菅原道真の歌と思ってネットで確認する。さらに電子辞書で菅原道真を探すと天満宮とある。逆に天満宮を探すと菅原道真の霊である天満天神を祭った神社とある。その最後に天神ともある。さらに天神を探すと梅干し。または種の中にあるその実、とある。以上の事から菅原道真⇔天満宮⇔天神⇔梅、と関係してくる。

 道真の歌の「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)」は、ネットによると「菅原道真が無実の罪を着せられて太宰府へ左遷される前に、大事にしていた梅の木を前にして語り掛けるように詠んだ作品」とある。有名な歌なのに下半分が怪しくなってネットで確認してしまった。

 旅行社から旅のカタログが届く。広島と福岡の事業所から撤退したJ〇Bの関西からである。国内の旅を広島からわざわざ関西出発を利用する人がいる?と訝りながらカタログを見る。どう考えても関西発は変、と見るのをあきらめる。というか、関西発がどうこうというよりも今の感染状況を見てどこへも行く気が起きない。しばらくは様子見となりそうだ。

 毎日吹いているリベルタンゴ。いくらいい曲でも少々マンネリ気味になる。春はもうすぐやってくる、と思ってユーミンが歌った「春よ 来い!」の楽譜を出してきて吹いてみる。さらった曲も久しぶりに吹くとうまく吹けない。しばらくはこの曲を練習、練習。フルートの第一人者の上野星矢の動画を見るとリズミカルで滑らかに吹いている。

 今日もいいお天気。だが、外は寒そう。昨日、お昼前にスーパーへ行く。が、帰りは粉雪が舞いだす。今日も粉雪が舞う!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月21日月曜日

天満宮と梅

 今季一番とも思えるほど冷たい朝である。雨や雪が降っているとか曇っているとかではなく太陽は燦燦と輝いている。今朝は燃えるゴミの日。前回、起床時間が遅すぎてゴミ出しに間に合わなかった。今日は何が何でも、と思ってアラームを設定して眠る。目覚まし時計に起こされて何とか今朝のゴミ出しは間に合った。ゴミは各戸家の前に出してもOK。だがカラスにつつかれるので燃えるゴミとプラスチック製品だけはゴミ置き場に出している。

 正式な名前を知らないがゴミ箱というかゴミを入れるケースの世話人から半年くらい前にこれを購入するために署名を求められた。市で購入の為らしい。ところが先日、道路の反対の地区からも購入する署名を求められる。先に署名した、と告げるとまたの署名もいいとか。ゴミ置き場の管轄の地区は違うが道を隔てて2か所ある。どちらも家のすぐ近くにある。このゴミ置き場を世話する人はゴミの日には年中出してはしまう作業をされている。もしも自分にそれをせよ、といわれれば到底できそうにない。どういっても朝起きるのが遅すぎる。

 今日の最高気温は7度の予報とまだまだ寒い。が、日差しがあるので日中は暖かさを感じるかもしれない。メディアによると防府天満宮は梅まつりとかで梅が咲き誇りつつある。毎週見に行きたいという人もいるほど人気の梅まつり。久しく防府天満宮へ行っていない。先日のお墓参りの道中で梅がほころんでいた。梅といえば市内の縮景園の梅も有名だ。が、今はまん延防止措置適用で閉園中。それにしても遊びに行きたい!思いっきり遊べる日はさてさていつになる!?

 ふと思った。梅といえば防府天満宮だけでなく、太宰府天満宮や北野天満宮も有名だ。天満宮と梅、なにか関係あるのだろうか。後で調べてみよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月20日日曜日

「紫禁城」を見る

 今日も昨夜見たテレビの話題から。満島真之介と浅田次郎が中国“最強”皇帝の秘めた思いに迫る番組でNHKのBSで放送された。番組HPによると「北京テレビとNHKの国際共同制作8Kカメラが “紫禁城” の未公開部分を撮影、宝石と不思議な建築が王朝のなぞを解き明かす。作家・浅田次郎氏と俳優・満島真之介氏で一人の皇帝の秘めた思いに迫る。“紫禁城” は今は故宮と呼ばれる博物館。奥に清の乾隆帝の園がある。版図を最大にした皇帝で文武に秀でた。狭い迷路に玉座6つ、なぜ? 少数民族の王朝、したたかさとは? 不思議な中国画に西洋人画家との秘話! 皇帝の世界観に迫る」とある。

 紫禁城は天安門広場に隣接しており故宮ともいわれる観光名所。中国北京の観光では必ずといっていいほどコースになっている。ここへは2,3回は出かけているがテレビを見て知らない紫禁城を垣間見る。紫禁城を映し出す途中に作家の浅田次郎と俳優の満島真之介の会話がある。浅田次郎は40数回もここへ訪れているとか。

 紫禁城といえば乾隆帝、なのか番組ではこの人を取り上げる。乾隆帝は漢民族ではなく少数民族である満州族だ。築600年ともいわれる紫禁城だが広い敷地に建つ太和殿が中心をなしてここに保有する宝石類などは180万点もあるそうだ。気になることを羅列しよう。

・屋根の黄色 黄色はもっとも尊い色で、皇帝のみが使用。また黄色は台地の色
・建物の赤色 赤は邪気を払う色
・竜の爪 皇帝だけが5本の爪を持つ
・太和殿の丸い柱 直径1mもある柱が72本もある
・太和殿の竜の数 13843匹
・乾隆花園 太和殿内にある符望閣は宇宙をあらわす
 
 乾隆帝の為した主なこととして版図を広げたことがある。それには世界一の玉をウイグルから運ばせていた。全国から書籍を集めて「四庫全書」を編纂させた。絵画を見ると180㎝もある弥勒菩薩をチベットの寺院に作らせた。乾隆帝はチベット仏教に帰依し、モンゴルやチベットの人たちを尊敬して抵抗させないように仕向けた。陶磁器などの職人を育てて海外に売りさばいて銀を獲得、などがある。
 
 乾隆花園の秘密のエリアには時計、刺繍の部屋などがあり、イエズス会のカステリオーネに乾隆帝の肖像画や風景画などを描かせている。絵には中国にはない陰翳や立体、遠近法を取り入れており、乾隆帝とカステリオーネとのせめぎあいが絵から見られるらしい。なお、カステリオーネは中国に帰化して中国名で描いている。

 番組のなかで「如意」があった。この如意、わかりもせずにいたと思いながら見ていると孫の手が背中のかゆいところに届くように意のままになる、ということらしい。そのためか僧が読経などの道具の一つに孫の手に似た仏具をもっておこなうそうだ。

 番組最後にナレータは言う。「中国の最強の皇帝は言った。中国皇帝の長い歴史の中でこんなことがどれほどあっただろうか」と。

 いい番組だった。ここに取り上げた中には聞き間違いがあるかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2022年2月19日土曜日

「名品の来歴」を見る

 NHK・BSで「名品の来歴」を見る。名品とは1934年に実業家の10代目浜口吉衛門によって建てられた洋館である。浜口は芸術に深い造詣を持つ人物だったらしく建物の至る所には浜口が収集した絵画や彫刻が飾られている。今、この洋館はタイ大使館の公邸になっている。というのも第2次世界大戦中の1943年にタイが浜口から当時のお金の100万円で購入したのだという。タイ大使館によると、当時、日本政府による金属類回収令により、建物や美術品が失われる危機にあった。浜口は友好国のタイに譲渡することで、建物や美術品、調度品を接収から守ろうとしたとか。

 洋館の外観も中もほぼ当時のままで保存されている。この洋館にはタイに譲り渡す前、嵯峨浩も住んでおり、ここで愛新覚羅溥傑とお見合いしてその後結婚。洋館の玄関に立つ浩と溥傑の写真もある。1987年、浩は亡くなり、その3か月後に溥傑はこの洋館を訪ねている。今はタイの大使館公邸となったが洋館に関わりある人たちが集うこともあるそうだ。浩の次女である愛新覚羅嫮生、浜口の孫である12代目浜口吉右衛門、そしてタイ大使夫妻などである。

 当時のお金持ちのすごさをこの番組を通して知った気がする。すぐになんでも取り壊す時代だが、こうやって大事に保存されてゆくのはいいことだ。洋館全体が生きている博物館のようだ。一度でいいから中に入ってみたい、と思いながらテレビを見た。

 話は変わって昨日は母の祥月命日。幸いお天気も良くお墓参りをする。その後はお宮を経由して帰る。家に着くと旅行社から旅のカタログが届く。寒い時季でもあり、また、まん延防止措置延長も決まって気持ちは旅どころではない。日本画の先生から美術館行きの変更を知らせるSMSも届く。

 何を計画するにもコロナが収まらなくてはどうにもならない。こうやって月日だけが過ぎてゆく。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

Spirit Box スピリットボックス P-SB7T

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